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沖縄転勤

沖縄転勤になりました。
言い渡されたのは3/27の夕方、そして4/1付でなるべく早く行って欲しいとのこと。

急すぎて、正直心がついていかなかった。沖縄なんて行きたくない。
実は、11月頃より仕事がまるで出来なくなっていた。
精神的なものだろうと思う。それまでくるくる回せていたのが嘘のように、思考能力の低下、記憶力の低下、無興味と無関心、あらゆることがどうでも良くなるという不思議な思考回路。
そんな状態で12月、1月とさらに悪化を辿り、1月後半から2月にかけてはたびたび会社を休むようになっていた。朝、起きられないのだ。どうしても会社に行く準備が出来ないのだ。ずっとベッドに沈み込んでいたい。だから体調不良といって、朝に上司に電話連絡を入れてひたすら眠っていた。
現実から逃げるように、ベッドの中、何も考えないように楽しげな動画をiPhoneで観ながら寝ていた。

けれど社長、役員、上司を前にそんなこと言えるはずもない。
転勤命令は絶対だ。断るどころか嫌気を少しでも見せることすら前代未聞だろう。私はそう思った。
だから、「頑張ります。ありがとうございます。」そう言って頭を下げた。

4月に入り、賃貸探しや引越しのやることリストをネットで調べるうち、涙が出てきた。
私は急かされるように、強迫観念のように、時は待ってはくれずやるしかないから行動を起こし続けた。
追われるように物件探しのために一度目の来沖、3泊4日。
家探しと理由付けて2日間、合間に途方に暮れて那覇の街をさまよっていた。
土日、実際に仕事に立ち会ってみても、まるで頭が働かない。抜け殻のようだった。

借りる部屋がなんとか決まり、引越しのために一度横浜へ帰って来る。
そこからの引越し準備の追い込み期間はまるで身体が動かなかった。
一人暮らししている家のすぐ近くに住んでいる両親が、それぞれ休みを取って手伝いに来てくれた。私は大して働くことが出来ないでいた。くるくると片付けたり掃除してくれたりする両親を横目に、私はなんて情けないのだろうと思う。ちっとも自立出来ていない、親離れ出来ていない。いつかたった一人になった時に一体どうするのだろう。親なしには生きていけない私じゃないのか。

私は弱いな。弱いというより、何も考えずに生きてきた。
実家のすぐ近くに4年も住んでいたのは、あれは単に、ぐうたらで寝て自由に過ごしても何も言われない環境を得てたいがためでしかなかったよ。
自立できていない、一人きりで解決し、生きていく術を全然分かれていない。何も築いてきていない。情けない自分。
そういった、人生の根本的な問題点を自覚してしまった。この壮絶な不安感を拭える術を今の私には思いつかない。

とりあえず4/13、完全に沖縄に来てしまった。
どうにかこなせるとも思えない。でも生きるしかない。
ダメだったら帰ろう。
待っていてくれる、その両親の温かい言葉、愛が、私にはとても悲しいほどにつらくて泣きたいほどに嬉しいのだ。




by kzm83 | 2017-04-13 23:58 | 仕事の話

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